「ホーム」へ戻る

ホーム心のビタミン

=人権週間での一考察=多様性を育む人権の考え

 人権週間が(12月4日から10日)始まります。本センターでは、可児市立図書館で恒例の人権ぬくもり展を開催します。特に本年度、全国に先駆けて市として力を入れた「子どもいじめ防止条例」等に合わせ人権教育である「子どものいじめ防止」の平成25年度「標語と300字小説入賞作品展」を主とした展示会を市役所の<人づくり課>と共催します。期間は、11月30日から10日までの11日間です。

 本年は、国連「世界人権宣言」(1948年12月10日)採択65周年の佳節です。(写真上:可児市役所玄関前の人権旗設置)(写真下:可児市図書館での人権展)    以下考察
 多くの文化を希求する国であるニュージランドでは、人は、一人ひとりが違うことが当たり前という暮らしが人々の中に根付いていると言う。自分と違う人の意見も良く聞き、そして受け入れる社会があると言う。また人の個人個人の生活は、文化であるとの意識が浸透しているとのこと。

 このような世の中にしていくには、人間の社会形成のありようと人の内外面の動きをみて、そこに実在する確かな事実を確認することが大事である。
では、人間は、どのように社会の中に実在しているかである。
 人の世は、多様性の中で生きている。何一つ同じことはないのである。
動物は、100万種有ると言われるので、人間に生まれ出ることすら大変なことである。
来世もまた人間に生まれたいものといえども分からない。だから仲良くしたら!とも言える。
 また、今の世に共に生きることも、永い人類の歴史上ほんの短い一瞬でしかない稀での出来事であるから、人間同士と言えるのである。また来世で一緒に共に住めないかもしれない。だから仲良くしたら!と言える。
 しかも世界の国約200カ国有る中で日本に生まれたことも稀であり縁である。その日本の中での岐阜県であり、可児市であり、・・・地区であるから、ここで生活する縁は、一層深いのである。
 何もここで生まれなくてもいいのに、また住まなくてもいいのに住んでしまったのだから奇(く)しき縁(えにし)があるのである。だから仲良くしたら!と言える。
 世界は、約72億人の人口であるから世帯3人とすれば、世界約24億世帯の中の可児市の3万3000所帯なのであるから、約7万分の1が可児市に住んで世界を形成しているのである。世界の輪の中にいるのである。
 またこの諸外国とて、国情も異なるもの戦争や飢餓で苦しんでいる国もある。これも多様である。故に、人として生きていることと、そこで生きることとは、偶然ではないのである。意味があってのことだと思う。だから仲良くしたら!と言える。
 次に、人の内外的には如何かである。そこに住む人は如何か。白人・黒人・黄色・赤色・茶色人種等こうした多様な人種もいる。
 顔かたちは、如何か。これも全世界人口約72億の人の全ての顔形は違い、世界で一人しかいない。これも考えれば不思議である。只一人の自分であるからだ。だから存在価値があるものである。
では、個人の考えは如何にか。これも似通った人はいるにしても、完全無欠に同じではないのである。よって、行動もまちまちである。1日中でも同じ行動をしている人はいないのである。その永き連続が一生であり人生なのである。
生活も家族といえども、同じではないのである。瞬時の心の思いは、その人の感情から発するもので、瞬時から違っているのである。 その人の、いろんな感情は、生まれ出て死ぬまで自分の生きてきた道程の中でも同じ道は一つもない。今を過ぎての行動は、分からないもの、今日と明日は、また違うものである。
 ましてや他人とも違う動きを始終しているのある。だから意を合わせることには、苦労するのである。
良くぞ!まあ!自分と身の回りの異なる事を掘り下げて見たが、この中で良くぞ!まあ!目がまわずに生活が、できていくものだと思う。
 集約すれば、これが多様性であり、その中に人は、生きていて、むしろ多くの事柄が存在して、いるから生きていけるともいえる。すべて皆同じである世界には、自己主張できなく、人は生きられないのであろう。
 変化の中で、生きていくことが、人にあっているから人間は、長く種の保存ができてきたのであろう。全宇宙で、唯一約40億年前の生命からでた智慧と感情を持つ人間の命なのである。だから皆と仲良くしたら!と思う。
 では、本論での、人権の侵害は、何故起こるかである。
 この人の心の中の問題である。「人は、安穏に住みたい心。言い争いの無い互恵でありたい。この平らかな心が人間の心持ちであり、これが本質的な心である」と、先哲は言う。
 こうしたことの本来、多様性を好むべき命があるのに、その多様性を差異と捉え「差異へのこだわり」により、自分のフレーム(同胞・家族・党派・地域・国・民族等)の身の安穏・利益追求のための争いにより、多様を認めない命の繰り返しが人類史である。これは、安穏を保持するために自分また自分達を守ろうとする命が、自己本能的に手っ取り早く出てしまうためである。
 有名な平和学者のエリース・ボールディング博士は、「平和を築くうえで何よりも大切なのは、差異を認め、讃えていける寛容の心です。人間皆それぞれに特別であり、しかも、かけがえのない存在としるべきである」といっている。
 寛容とは、互いの差異を認め合い、多様性を尊重し合うことである。かけがえのないとは、取って替われない尊敬の念である。
自分の中にある、開かれた心を出して、他人と話し合い学び合う寛容の精神の中に共生的な平らかな人の持つ良き心が湧きあがって来るように思う。
 異なる個人から、社会へ向かっての視点を拡げ、異なる社会の中でどうやって生きていくのかを考えていく一人ひとりでありたいもの。
 成熟社会では、差別する人と差別される人の対立軸は、なり難いと言われる。
 なぜならば、いじめに遭う人も、いじめられる人に、すぐになり易いと言うことである。
 では根本治癒はなにかである。これは、人間の命の作用であると認め合うことで、その命を出し難くするしかないように思う。そのためには、フレームも良き集団として、他のフレームと良きフレーム同士となるよう寛容で行くことしかないのである。
 個人においても、その争う命を出さないように良き事を良き集団・良き友との対話交流で深めて、争う命を覆いかぶして、出難くすることしか手はないように思う。だから仲良くしたら!と思う。
 「人から発することであるから、人により解決できないことはない!」(ジョン・F・ケネディー)と思い込むことである。
 人権侵害は、多様さの故に起こるものであるから、自分とは何か、自分は如何にして生きるべきか、どういう中で生きているのか等を考え、立ち位置をわきまえて力強く生きることで、寛容さが養われ人をも認め尊敬できるものだと思う。(y・k)