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オレンジリボン運動ーー「鬼畜(きちく)の命」とは?

 11月は、「子どもの虐待防止」推進月間です。
 子どもは、社会の宝です。子どもの生きる権利を究極的に守るのは、両親であります。
子どもの誕生は、自然にできることでないのです。授かりものとて、その行為の中で育まれます。生活状況が厳しければ、状況回復後にということも可能です。子どもの幸せ第一のTPOが大事なのです。
 しかし、できた子どもは、一人の人間として、世界で一人しかいないのですから両親はもとより社会的に守る規律が生じます。
 生まれてきた子どもは、だれの子であろうと、いかなる理由があろうと、一人の子どもが安心して生き、伸び伸びと育つよう守ることが、両親にあり、国にあるのです。
 ところが、先日のニュース等で4人の子供を放棄・虐待・行方不明にする両親がいました。
まさに子どもを生む資格がない親としか言いようがないのです。
  昔、松本清張著「鬼畜」という映画を観ました。主人公の妾から生まれた3人の子供がいることを妻に見つかり、その後家業の印刷屋がうまくいかなくなり、妾は子どもを主人公に預けて逃げていく。預けてられた妻は、自分の子でない子を育てること拒否し、主人公に殺すことを激しく命じて、二男は、餓死させ、長女は東京タワーに放棄させ・長男は、能登の海岸の崖から突き落とすが助けられ、この子が持っていた印刷の石のかけらで、主人公は、逮捕される。
 この人は、誰かと刑事から尋ねられた長男の子は、「知らないおじさんだよ」という。主人公は、長男を抱きしめながら号泣し詫びるラストシーンでした。
 鬼畜とは、インドの釈尊の説いた、人の命の中にある10の命の内、最悪の「地獄の命」の次と次に悪い「餓鬼の命」と「畜生の命」の合成された命を松本清張は、鬼畜と言って書いたのでした。
<餓鬼の命>とは、自分勝手で欲望に支配された命であり、絶えず飢えて渇きに苦しみ喉は極めて細く飲食物を近づけると全て災となり口に入れることができない位飢え渇きの状態をいう。
<畜生の命>とは、苦しみ多くして楽少なし、性質は、無智にして、だだ食・淫・眠の情のみが強情で人を区別なく残害する命の状態をいう。
 こうした残虐・非道の命は、人間だれしも境涯・境遇の中で、出てくる命であります。大なり小なり出てきたときに究極は、虐待となるのです。
  戦争での殺し合いは、普段良い人でも人が変わると言うことがあるが、一瞬にして変わり得るのであるから、普段からこうした環境・境遇に「いない、ならない、させない」ことの心得が大事であります。
このためには、多くの縁あっての人びととの生き合いを大切にしてぬくもりの心が少しでも広がるよう心遣いをして、子どもの育みに苦しんでいる若いお母さんに声かけして上げて地域で守り育ててあげる位の心意気が大切なのです。そのことを学ぶ月が今月なのです。(y・k)