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人権啓発は、なぜ必要か?

本年の人権週間が終わりました。
 常にエンドレスに同じことのない新しい動きが人生であり、
いつも行動の思考が付きまとう。
 しかし、人の能力は、際限がないらしい。
消耗しないのが、人の脳という。使えば使うほど、冴えてくるし、
深く思慮すれば、するほど智恵が湧くという。
 
 本年の事業も峠を越えた感じがあるが、これまた際限がなくエンドレスである。
「人権には、峠はなく人がいる限り無限である」とは先哲の言葉である。
人の良し悪しの思いの行動が対象であるからである。
「人権のセンターがなくなることが、本来大事である」とは、最近聞いた話である。
それが難しいのは何故かである。
 
中国の孟子は、「性善説」を唱え、人は、本来生まれながらにしてDNAに
人間性を備えているが、周りの環境により悪さを取り込んでしまうという。
人が生まれながらにして、人間性が完璧に備わっていて、しかも生きている
世間に邪悪なことが全くない条件がなければ難しい。

 また中国の荀子は、「性悪説」を唱えて生まれながらに欲望の醜さを持って生まれ
てくるので、学びながら人は心を良くしていくしかないという。

 どちらにしても、そこには、心の精進が必要ということは同じである。
人間性の醸成の努めが必要であるということである。

 人の命の感情は、「自らの行動で、言葉で、そして心の思い」で良くも悪くもなるのである。
また、それだけでなく、自分の周りの環境で、自らの心も良し悪しに影響を受けやすい。
景気が良いか悪いかで人のいらいらの影響を受け心持が、変わっても来るからである。

 それ故に、人が存在する限り、「人間は生まれながらにして、人間が人間らしく幸せに生きていく権利」である人権は、常に監視の中にあり、人権の擁護が必要となり、人権の啓発は、更に必要となってしまうのである。

 今この時に、少しでも人権侵害が起こらないように、天秤の錘を重くして、如何に人権に対する
邪悪さが起こり難くするかが啓発である。
 
 各地域で、如何に心豊かな人が増えていくかであり「点が線となり面となる」ことが、人の心を
良くする原理であることには変わりない。
 このことは、量的な把握のできないものの成果の基本であるし、その心意気の連続(エンドレス)が
より良い状況を育んでいくのである。(y・k)