2010年10月1日不信感について
人は、その人のおかれた立場と身に掛かる理由の大きさにより
行動の違いがでてくるものだ。
このことは、国県市の長であれ、司法の長であれ、
あらゆる職業の長であれ同じである。
しかし、その人の根底に自己保身の命が息づいていると、その人の行動は、
自分にとってプラスのことか、マイナスのことか、
また、好むと好まないという趣向判断がでてくるものだ。
こうした人の行動は、あべこべになりがちになり、深みにはまって
抜き出しならなくなる。
「人は、最終章において、いかなる振る舞いをするかが大事である。
自分は、多くの人に助けられて今がある。
自分の力量を発揮できたのも皆さんのお陰である。この報恩の心を持つことが、
その人の今後を飾ることになる」(PHP:松下幸之助著)とある。
長の人は、このことを心得て、行動すべきである。そうでないと、多くの人が戸惑い、
詮索をし合うことが世相を悪くするのである。
そして、しまいには不信感が、だんだん募ってくるからである。(y・k)