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令和の移ろいの人権の「怪しさと恥ずかしさ」

令和の年の動きもめまぐるしく新たな問題を提起します。

★国内では、高齢者ドライバー事故・子どもの虐待・殺人事件・著名人の不祥事等、何をとっても、原因は、侵す人の感情のもつれから発することである。
縺(もつ)れる事は、日常生活の中に多く存在します。物事が、絡まり合って解けない、話がややこしくこじれて入り組み複雑化する。こうした事の始まる前に、一人で考えるのではなく、予兆の兆し時に相談等で、善後策がなかったのか、残念である。

★国外問題も、目まぐるしく動く、自国の安寧のみで、他国のことに配慮が足りないと感じられることがある。これでは、戦後の「平和・協調・支援」等の賢明なる永き国連での規範づくりの努力も空しい。
世界196カ国を超える国の状態の中には、戦前の主要大国の植民地で、やりたい放題搾取し、黒人を奴隷として酷使し、国力をつけてきたのに、今は、自由経済と言いながら、知らんぷりして人権・人権とたやすく言う。また互いに復興援助されながら力を付けて、豊かさを得ながらでも、指導者の自己保身に躍起になっていては、その国さえ永き安寧の繁栄は、間々ならなくなる。
食べることに精一杯の国もある。教育もされずに、知識やまして知恵さえ湧かない人々も多い。

こうした事を憂いながら懸命に心遣いをし、海外援助活動をする友人たちに、世界を悪くしている仕返しのルーティンは無策であり恥ずかしい事ではないだろうか。

自分の歩んできた人生は、必ずしもオールマイティでないものと知らねばならない。

人権感覚が、だんだん悪くなり、世界の人たちの幸福の道を閉ざさないでほしいものだ。(y・k)