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富士は、日本の心!

 昨日1日は、富士の山開きであった。ユネスコの文化遺産に富士山が決定したこともあり、すごく人が群らなって登る様子が報道されていた。
富士を中心の生活文化が評価されたのである。
 だが、報道を見ていて何か間違えていないだろうかと思いながら心配している。浮かれし過ぎの所があるからだ。
 我が故郷、山梨の山だからであり、南アルプスの登山口で生まれたから気がかりが分かる。
富士山の周りの景色を中心の観光は、大いにするがいい。
しかし、富士登山は、観光ではない。南アルプスを何度も踏破した自分には分かる。
 山肌が荒れ危険が出てくる。またそこは自然であり覚悟して登らねばならない所であることを先ず知らねば成るまい。
 また「ごみの処理」はどうするのか。
 早くも弾丸登山を計画する観光会社がいるらしいが、まず禁止すべきである。
物見遊山は許されない。高い山であるから気象変化がはげしく危険であることだ。
ここは、遺産として未来へ引き継ぐために保護することが目的であるからだ。
 今のままでは、保護でなく荒らすこととなり、ユネスコの目的に外れるのである。
本来、ユネスコが認定の保護条件をつくり入れるべきことであるのだ。
 アメリカのロスに永く住む弟からこの前メールで山の写真を送ってきた。
ロッキー山脈の高い山へは、抽選で当たった人のだけが登れるようだ。
管理されての登山であり、やっと当たったので準備とトレーニングをしっかりして頂上まで登頂できたと喜びのメールであった。
 いかに自然を大切にして、人の危険も守り通している姿が見えてくる。
富士は、活火山であり登山道は、溶岩道で遠くから見るよりおもむきがない。
 だから自然は、それに応じた人のみが直接味あうものである。
南アルプスは、北アルプスに比べ自然豊富であるゆえ、だれでも登れる山にしないのはそのためである。
北より高い山が多いし富士の次高い白根三山の北岳(3193m)を知る人は少ないことからも分かる。
 富士は、ゴミの問題で自然遺産になれなかった。そのことには触れなく喜んでいる。
所官庁が早く手を打たねば、余計な計画が進み、手が負えなくなる。
景気浮揚とは、このことは本来、直結しない話なのだが。
 もちろん登山そのものの話である。遠くから眺めることでの観光は大いにするが良い。
富士を愛(め)でることは日本の心であるからだ。
 奈良時代の日本最古の歌集の万葉集にも、「田子の浦ゆ打ち出て見れば真白にぞ 不尽(ふじ)の高嶺に雪は降りける(山部赤人)とある。
また江戸時代には「かたつぶり そろそろ登れ富士の山」(一茶)がある。
 近代では、太宰治著の「富嶽百景」は特に好きである。ここには、有名な文「富士には月見草が良く似合う」とある。御坂峠の天下茶屋付近で、月見草をみて「3778mの富士の山と立派に相、対峙し微塵にも揺るがず、なんというか金剛力草とでも言いたいくらい、けなげに立つた、あの月見草はよかった。富士には月見草が良く似合う。」という文がある。
 富士を愛でることは、このように富士とあい対峙する景色があって富士は霊峰であり、そこに絵画・小説・詩歌・民族行事の文化が滲みでてくる。文化の富士山はそれを欲してはいまいか。
 「文化とは、ラテン語の耕す意のカルチャーであり、心を耕す」との意味があるのだ。 (本HPの「ぬくもり日記」・2009・9・08・参照>
 山体を荒らせば、怒りが出ることを防災士である自分は、心配しているのだ。
 <何と言っても、我が故郷の冬に、炬燵で寝そべってみる二等辺三角形の紅富士(べにふじ=夕焼け)が一番いい>(y・k)