2013年5月23日「万葉のみぎり(候)」の活動2題
多くの木々の葉が緑あざやかに成長しています。
本センターの活動も、徐々にエンジンを強くしております。
(その一)
5月19日可児市今渡公民館で「公民館まつり」が開かれました。本センターでは、この機会を通して、市民への人権を守る思いやりの心の大切さを啓発するために、スタッフ11名で、声かけしながら人権グッズ(キャラクタ―印刷の冊子・チラシやティッシュ等)を1,215名の方に配布しました。
(その二)
5月21日、可児市の教育研究所で可児市人権教育推進委員会が開かれました。平成25年度第1回の研修会です。
委員として各小中学校から選ばれた教師16名と教育課長・委員会委員長並びに本センターから局長と職員1名が出席しました。
委員長・教育課長の講話に次いで本センターの学校担当から、学校事業としての3事業の協力依頼をやらせてもらいました。その後当センター川手局長から、次の講話をさせていただきました。
<人権教育の「精神の底流」>
教育者のジレンマは、何かを考えてみました。
それは、いくら教える側が真剣で熱意を持って教えようとしても教わる側が、そのための意思と教わる姿勢ができていなければ、習得できないということです。
どんなに立派な先生でも教え切れない事あり、教えられない者がいると言うことです。
それを前提に現在の義務教育は、成り立っています。
先生が生徒児童を選べないから、師と弟子の関係にはなりきれないからです。
師と弟子の関係であればそこには、共に意識の通じ合える状況が生まれます。
その上に実生活の場での実践となり生きる術(すべ)を教えられることができるからです。
では、このようなことが現実の学校で、もし作れたならば、教師としての冥利に尽き教師を目指した時の高き志と一致するでありましょう。
そうした関係が、現在教育の現場で出しえないかと言うとそうではないように思います。
それには、その場づくりが必要となります。その場として、ある時間を割くことは難しいことですので、もしあるとしたら、子どもとの係わりの中に有ります。
一日を考えてみてください。教室での教科の時間・休み時間・放課後のクラブ活動等子どもとかかわることは、係わること、関わること、拘ることとしてが、日々のなかに長短であるにせよ、いろいろあるからです。この担当学級の生徒・児童との、こうした時こそ、自らとのコネクションを結ぶ時であり場にするしかないかと思います。毎日何人に声掛できたかが大事になります。
その上で、勉強の動機づけ、現実社会での生きていくための必要性なことを話す事です。
難しいことでなしに、そこ子を思う一言を言うことだと思います。
近所の息子は、今でも小学校の先生が、自分のことを「――君は大器晩成型だね」と言われたことを自信としています。今でも、何かうまくいかなかったときに、このことを思い浮かべ「今に見ていろ」と思うと言います。 その時は、大器晩成の意味も分からず家で解説してもらい理解したといいます。でもその時先生は、「今はできなくても、努力すれば、いつかできるから大丈夫」とのことで、この言葉を言ってくれたのだろうと、青年は言っていました。
先生の一言が一人の青年を変える力にもなれるのです。可児の中学校で有名な荒れた方が今では会社の課長で拾数人から慕われています。また中学で悪く高校を退学になりそうな子が、高校卒業後、会社で活躍していることを知っています。人は誰に何を言われたかが人生を変えます。
子どもには、一番長くかかわり合いするのは先生しかおりません。
昔、江戸時代・「近江の国」(滋賀県高島市)の中江藤樹(儒学者・医学者・近江聖人)は、塾を開き多くの塾生を教えていました。
その中に武士の生まれだが、生まれつき愚鈍(ぐどん)な「大野了佐」がいました。
医学を志していたが知能が低いため医学を教えることは、大変でありました。文書が読めない、読んでもすぐに忘れる。藤樹は、同じことを何回も繰り返し教え精根尽きたが、本人はあきらめないで通ってくる。 藤樹は、了佐の為に分かり易い教科書(6巻)をつくり、かんで含めるように教え込み、とうとう一人前の医者となり、伊予(愛媛県宇和島市)の実家に帰り医院を開業して、やがて「尾関友庵」を名乗った有名な医学者となり、弟子まで育てたと言います。
「私は了佐の熱意に応じただけ」と藤樹は言ったと言います。
船井幸雄氏は、著「人財塾」で「スキルも大事だが人間性を土台にした人間力の方がより大事だ、人間良くも悪くも紙一重でどんな人と出会いをするかである」(主旨)と言います。 私ごとで恐縮ですがーー。
中略―――。
などを報告に行くと、いつも同じ言葉が「あのお前がなあーー。」「ほうか、ほうか」(そうか、そうか)と聞いてくれるのが口癖で小学校の頃と同じように喜んでくれました。
<省略>
こうしたことの思い出が「心の財(たから)」として残っています。
本市の「いじめの防止機関と条例のありよう」の骨格にはこうしたことを踏まえ、発足前にあるべき姿の精神の原案を提出させていただき発足委員会の委員として検討させていただいたものです。教育現場でいろいろなことが起こるのは全て差異ある人のことであるから当たり前です。
ましては、生まれて僅かな子どもたちのことです。何が起ころうが本当に誠意を尽くす事です。
苦労が身を創るからです。
恩師は、亡くなる前、賀状に爪の間にとげが刺さり痛くてとあり――。早速、関市で「棘ぬき」を買って贈りました。また便りで家の庭で転ん
だと言うので今度帰った時その石を取り除いて差し上げますと返信したことが最後でした。
退職するまで偉くもなく真面目な人間性溢れた先生でした。
志は、持ち続けて初めて志と言えることを先生が自ら教えてくれました。「恩師は、有りがたきものなり」と言います。
皆さまは、自らこの教育の道で生きていく方々でありますので、子どもたちとどれだけの金の糸を繋ぎ合うかでありましょう。どうか人生のドラマを子どもたちとつくつてください。
人権教育を学んできましたが、人権教育を体系づけてもだれが会得するのか。会得する人がいなければ意味を為さないのです。
大事なことは、「いかに何のために今を為すのか」「今子ども一人ひとりが何を悩んでいて どうしてあげることが今大事なのか」を注視し、本気で声をかけることが人権教育だと思っています。
皆さまは若いしそれができる人なのです。子どもの先々を見つめ今、してあげることを探してやって下さい。(事務局)