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「人の世に熱あれ、人間に光あれ」を再び!

「人の世に熱あれ、人間に光あれ」この言葉は,27歳の青年「西光万吉」起草した、宣言である。
人間としての心からの悲痛な叫びなのである。
今月3日は、今から88年前,大正11年3月3日全国水平社創立大会が京都で開かれた。

 永い間、差別と迫害で虐げられた被差別部落人々が、奪われ通されてきた人間の権利を復興するため、自らの意思で決起した日である。

全人類の解放をうたう、日本初の人権宣言である。

人権の歴史は、闘争の歴史であり、為政者からの権利奪還運動でもある。

いつの世であれ、為政者(支配する者)たちは、弱いものをつくろうとし、やりたい放題に自らの栄華を謳歌したがる「命の働き」を持つものである。

「口先三寸」で、うまいこと言いその場限りで時を重ねる。国民は生活の困窮で、このことを忘れさせられ、これを究極的に許し、さらにその罠にはまり込んでいく。

歴史的に、如何に偉大な貢献をしようとも、人の上にあぐらをかいて人を犠牲にしてならない。

江戸時代に、政府の延命維持のため自らの保身の考えから、差別・虐待をして、しかもそのための制度を創るに至ったのである。

まさに、これらの為政者らは、魔物であり、悪魔の集団でしかなかったと言えまいか。

そして、その時に住していた国民もまた自らも、その制度に為たり、これが心根深くにDNAとして植えつけられ、今に至っているのであろうだから、

この同和問題は、
例えば結婚話という親族的問題となった時、他人事でなくなり深層心理の中にある百数十年前の為政者と同じ悪魔の命が、放射線の如く鋭くあらゆる善根の積み重ねの核を突き破って、現代生活に湧現するのである。

ゆえに、
この命を自ら断ち切るためには、祖先からの受け継がれた「一本の矢」のこのことを「知らなくてもいい」「そっとしておいたほうが良い」との言い訳ではなく、学び理解して命を変えることに努めるべきである。

同和問題は、「国民的課題」と政府が公文化されていることの所以はこのことなのである。(y・K)