2010年3月9日女性の権利を高々と!
昨日、8日は、「国際女性デー」であった。
1904年3月8日(米)ニュ-ヨークで女性参政権の要求デモが起こった。
このことを、(独)のクララ・ツェトキンが「女性の政治への自由と平等のために戦う日」として提唱したことに由来する。
このことを、国連は1975年のこの日を「国際婦人デー」とした。女性の十全かつ平等な社会参加の環境づくりの日としたのだ。
参政権のみが女性の権利侵害ではなく、労働権等の差別も多く存在している。
女性の参政権は、あのフランス革命当初の1789年に掲げた「フランス人権宣言」でさえ自由・平等をうたい近代「民主主義の原理」といわれたにもかかわらず、女性の参政権はなかったのである。いわゆる男のつくりであった。
日本でも、女性の参政権は、「平塚らいてう・市川房枝」らの永い戦いの末、戦後の1954年12月の衆議院選挙から国政参加が認められ、翌年1956年9月に地方選挙にも認められ、わずか54年前までは、こうした差別が厳然と存在していたのである。
またわが国は、1979年(昭和54年)に国連での「女子差別撤廃条約」を採択して、1985年(昭和60年)に「女性(女子)差別撤廃条約」を批准した。そのことを踏まえ1999年(平成11年)に「男女共同参画社会基本法」が施行された。
今から11年前であり、「国際女性デーの日」提唱からなんと95年の長き戦いの歴史であった。
こうした女性の人権は、「人権の戦いは、主張し戦わなければ、何も変わらない」こと示した女性の歴史でもある。
例えば、黒人問題でのローザパーク女史・フランス100年戦争でのジャンヌダルク・「世界人権宣言」起草でのルーズベルト大統領夫人・日本の参政権での平塚らいてう・アイヌ問題での知里幸恵等、皆女性の戦いがきっかけとなったのである。
声を上げることは、今でも同じである。法律や制度はできても、個々の人権侵害(公的)・人権蹂躙(一般)の声を上げなければ、だれも何もしてくれないのが人権の問題でもある。
「人権は、人への知らしめから始まるのである」
ともかくも、女性は、いつの世でも、平和主義者であるがゆえ、最も虐げられてきた。だから今こそ女性を大切にしなくてはならないのだ。(y・k)