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ホーム活動報告

虐げられた人の心

 人の心の中には、思うように物事がいかないときに、ストレスが溜まるもの。
パワハラ等の軋轢や虐げられての我慢することは、大きさと回数の積だけ、エネルギーは、溜まり胸の中に反作用の怒りの力として蓄積されるもの。それは、バイアスがかかっているゴム風船に似ている。人は、このバイアスを、他のことで消化して抜くことができるものを持ち合わせていれば、耐え忍ぶことはできる。しかしこのゴム風船を割る対処を知らないとしたら、そのものが爆発破壊し心を病むかしかない。あるいは、この溜まったバイアスを外の向けるしかない。それは、その因をつくったものに向けられることになる。
人の虐げられた歴史はこの繰り返しでしかないが、大きく変わった転換には、インドのガンジー・南アフリカのマンデラ・アメリカのキング牧師達の、「非暴力・非服従運動」思想での変革であった。しかし、こうした独立・開放等の制度的な造りはできたが、そこに住む高慢な差別する人達の優越心までは、中々変わらないでいるがゆえに、未だに小競り合いが続いているのである。      
福井達雨氏は、「高慢の後ろには、劣等感が隠れている。良き方に行けば優しさに変わるが、高慢を支える劣等感は、間違った誇りを強くし、その誇りを侵すものに激しく敵意をもち、それを抹殺することもなんとも思わない、冷たい心の持ち主になってしまう。
また高慢は自己顕示を良き方向に生かせば、他人を幸福にする糧になるが、高慢から生まれる自己顕示は、自分をいつも頂点におき、自分は総べて正しく、間違いは侵していないという、掟となり、他の人間を自分より低い存在としか見ない要素をもっている。こうした正義だけが総べてとなり、謙虚さや愛がなくなってしまう」(主旨)という。
今世界で起こっている多くの事の歴史的な淵源は、こうした優越した感情の者達の中で、起こっている(y・k)