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「決断・命のビザ」上演される!

 2月1日「可児市文化創造センター」において、水澤心吾の一人芝居で 「杉原千畝物語」を公演しました。(可茂ロータリークラブとの共催)

 杉原千畝は、隣接の町の八百津町の生まれである。外務省の外交官で、第2次大戦でのナチスドイツによる国内のユダヤ人の追放から始まり、ポーランド侵攻で、多くいたユダヤ人の約600万人の虐殺をドイツ国民を扇動して、せん滅作戦に加担させ戦争を起こしたことは良く知られたことである。杉原は、この時リトアニアと言う国の水の都カナウスの領事館勤務についていた。
 ある朝多くのユダヤ人が逃亡先のアメリカ行きの日本への通過ビザを発給してほしいと集まってきたのだ。既に多くのユダヤ人の虐殺は聞いて知っていた杉原は、本国の日本外務省に電報打つが、発給禁止とのこと、死の恐怖におびえる多くの人を前にしてここから杉原の苦悩が始まるのである。
 このままでは殺されてしまう、何とか助けられないか。一存で決められない、いらだたしさで葛藤する。その時外で待ちあぐねる人の中で子供が倒れる。杉原の子ども曰く、「パパが助けて上げるんだよね」と涙を流す。「ああ、あの子も自分の子と同じ子どもだ。あの子を見殺しにできない!」
 千畝の心は決まり、独断でのビザ発行を妻に告げる。
 命が自分たちにも及ぶことも覚悟しての決断であった。日本に行くには、ソ連を通過しなくては成らなかったが、ソ連とは、千畝と親しいかったこともあり了承され、ビザ作成にかかるが、そのことを聴いて多くのユダヤ人が集まってきて、6000人にも及ぶビザを、もうすぐ領事館の閉鎖決定の中書き続け、脱出後のホテルや汽車の停車中にも書き続けたのだ。
そうして、多くのユダヤ人が助かり、生涯「センポ・杉原」を忘れない!とユダヤの多くの子孫の末裔が毎年、八百津を訪ねてくるそうだ。
 「もうこれをするしか人間でいることが出来ないと言う究極」に人はどう決断するか、その苦渋の選択の根源こそ「人権を守ることだ」との叫びが聞こえてくるようでした。
千畝が言う「人間として当たり前のように判断して、当たり前ことをしたとだけ・・・」
 杉原千畝のビザ発給に掛けた魂から、ほとばしる決断のシーンを見事までに演じた水澤心吾氏に拍手喝采であった。
「権力者は、いかにも自分が偉い人間であるかのように歴史を作りたがる、庶民に欺瞞までして、いつもだれもが騙しやすい国力云々を言いたがるものだ。さながら、一体のその先何が残されていくと言うのか・・」 そして「耐えがたい悪に対して、立ち向かうのが、あらゆる国民、あらゆる個人の権利である」(要旨)(インドのマハトマ・ガンジー)(y・k)