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ホーム心のビタミン

春朝の風景

 自宅をいつものように家族に送られて、出勤途上の光景は、さまざまである。
春は、百花繚乱であり、心和やかになる。
ゆとりピアの坂を下るとそこは、桜の園であった。
広見小学校の高い法面に掲げられている「八の字跳びギネス世界一」の
栄光の記(あかし)が復活したように特に映えていた。桜の効用でもある。
冬の寒風にさらされ黒々とグロテスクの大木に、花をつけるとこれほどまで変わる
木は桜をおいてないだろうと思った。
この小学校の法面の上の桜の風景は牙城のようで好きである。
朝は急ぎが多い、もう少しゆとりを持てばと家族は言うが思うようにならない習慣である。
信号が青に出くわせるとチャンスとばかり嬉しくなる。ホテルの泊り客が、職業姿で出てくることも多様で面白い。車のナンバーが遠いとよくぞ来てくれたと挨拶したい気持ちにもなる。
図書館付近で、心を痛める光景にあった。まだ少女らしき幼顔の残る人であった。髪の毛もだんだら髪で、だらっと着た薄手の服を寒々しく羽織っていた。しかも、なんと右手に煙草を持って吸っていたことであった。どうしてこのようにしているのか、なんでこうなってしまったのか、気になってしかたがなかった。事務所の席にかけてからも、事務所の朝礼でも話した。家では ――。両親は ――。兄弟は ―――。学校ではーーー。地域ではーー。何でこうしたことになったのか。
ここまでの過程で誰かがどうにかしてあげられなかったのだろうか。
 ともかく、先々に幸多かれと祈られにいられないほどの痛みが走った。まだまだ若いから大丈夫だと自分に言い聞かせ、次にあった時は、声掛けしてあげようと思った。
その日の、午前ご連絡なしでの人権相談者が来られた、良く話を聞いた上で人生多難なことが起ころうとも、強く生き抜く必要性を話し、相談は、何事につけ大きくならない時点で、早くの相談が大事なことをお話しして、手を打たせてもらった。(y・k)