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春萌え(生きるということ)

 4日の立春をすぎても、季節の移ろいは、まだ厳寒である。
 草木も春の日差しを待ち遠しく、一気にその時を待っているようだ。
 あぜ道の「蕗(ふき)のとう」も表被を脱ぎ青い頭をだしている。草木も昆虫も・また人も
秋から冬にかけては、耐え忍ぶ時、外から身を守り、冬篭りで養生をして、また生きてゆこうと地球のリズムと合わせるのである。  
 生きると言うことは、万物、人も含めてそれぞれの生き方を模索して、それぞれが艱難の道を耐え乗り切り生きているのである。生きる寿命も、同じ種類でも違うことからも分かることである。
 最近の情報で、若き女性研究者の小保方春子さんが、STAP細胞の発見をして、「生物学の常識を覆す発見」と騒がれている。
 一度完成された細胞が、受精卵のように基に可逆すると言うから、驚きである。再出発できることになる。でも良く考えれば人間の精神も、常に喜怒哀楽の中で、これを繰り返していることと同じである。いつもその連続性の行動ではなく、常に基底部に戻りながらの言動を自分はしていることに気が付くのである。細胞(肉体)が治れば、このことで、精神(心)は、どうであろう。
 治らないものが治り健康になれば、当然心は喜びに湧き、良い方に行くのは間違いないのである。
 ここで分かった大きなことは、人を含む万物は、おそらく刺激のある時に活性化すると言う、その道徳的原理の証明のようにも思うことである。
精神的や肉体的な刺激が強ければ強いほど、乗り越えた喜びと共に人としての人格度は、増すことは、周知の事実であるからだ。細胞も心も一緒に活性化している証しである。
こうしたことより、生きる価値のありようを証明したと言える。
 あらゆる命、あるものが、如何様に永く生きられようとも、いつかは死を迎えるのである。
 生まれて育ち成熟して、老いを迎え絶えていくリズムは、替え用に無いことではあるが、そのリズムの手のひらの中で、振り返る反省を活かした、刺激の多い活達さの中で自らの良さを発揮して、生きることへの大切さを示唆したことも、STAP細胞の発見の偉大な点ではないだろうか。(y・k)