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ホーム活動報告

「子どもいじめ防止条例」議会へ上程!

可児市では、市議会へ、この度「子どもいじめ防止条例」が上程され
条例化を目指すこととなりました。
「大津事件」以来、毎日のようにいじめの問題がテレビ等で報道されています。
文科省では、スークールカウンセラー・ソーシャルワーカを併せて1000名を増やす
としています。
 可児市では、全国の先駆を切って一昨年に新市長が「いじめをなくす」公約の一環として、
今、マスコミで言われている第3者機関を今年の4月から立ち上げました。
 それまで市民検討会を昨年の4月23日立ちあげて、9月15日に市長へ(提言)答申しました。
 内容は、教育委員会からの独立と中立公正を旨とした第3者機関として、専門的な弁護士
・臨床心理士など専門家と専門員を置き学校等を支える体制づくりにより、
いじめの防止や解決にあたるものです。
 このための権限の付与のため、公務員法での学校長初め教職員の秘守義務を
第3者機関にはそのことの詳細を伝えられるものとして、秘守義務の解除規定を条例化します。
これにより、第3者機関の本来の任務が確保でき、いじめ防止またその解決に
邁進できるからです。責務規定には、、市・学校・保護者・市民と事業者の責務
につき規定しています。(市のHPに掲載中!)
(続き省略)

 本来の学校のありようが、こうした社会的要素までをカバーせざるを得くなり、全てを押しつけた状況のとき先生のマンパワーを超え負担が増大し過ぎて、それをどうすることもできない流れの中で、すべての機能が停止してしまうのである。「教育は、共育であり」大人がそれぞれの立場でこの防止体制の中「子どもが幸せな生活ができ学び成長できること」を共に卒先垂範して、その証をつくっていくことである。そのためには、「いろんな人がいても良く、いろんな考えを持って、違っていても良い」差異(個性)を認め合うことと、人間としてのぬくもりを教えることである。(y・k)

(続き省略)「いじめにつき、ある角度からの考察」につき記する。

「いじめ・差別の発生」は約30年前からと言われているが、この原因の一つとしてとしてある本に次の主旨のことが書いてあった。 「このころから世界経済は、今まで以上に競争社会へと変遷して、大人社会がより格差の先鋭化が激しくなり、こうした中から仕事への不安感が高まり切迫した防衛意識に陥りやすくなっていった。生活にも反映され、親として心のゆとりが減少し大切な家族の話し合い、共に行動することが少なくなっていった。このことから本来子どもに必要な生きる上での人とのかかわりあいでのマナー・モラルを親が「しつけ」として教えられる回数が少なくなり、そのまま学校へ入学する。すると本来の学校の通常の使命である「知識の教え」と「知恵の教え」以外に「生きる教え」迄もやらなければクラスが保持できなくなってしまった。ところが子どもは、マナーとモラルに対して、バラツキがあり過ぎて子どもに同じ教育をしても、本来の教養は、ある程度できても、マナー・モラルによる相手への行動・思いやりがまばらになる。個性の域を超えてしまう。子どもの心理は、自分より何かが違う人の形相と考えを見聞きすると、いたたまれなくなったり、怖くなり、それで排除のいじめづくり感覚が芽生え始める。いじめの加害者となる子どもは大方、親が社会生活でのマナー・モラルをOJT(直接的教授)としてお知えられぬ間に、学校等で自分と違う人への警戒心・軽蔑心が自己防衛本能としてでてしまうからである。本来子どもの自然な性質は、人を差別する心で生まれてきていないのである。親が、子どもとの関係減少での知らぬ間に刷り込みをして、本来子どもの命の奥深くにある同じ命を表に出してしまう行為をしてしまって学校へ行かせていることである。人間は、自分の生活を乱す恐れのあるものをあまり好まないもの。新しいことを警戒する傾向にある。暗闇の中が怖いのは先が見えないからだ。論理的でなく感情的によりわけもなく恐怖・警戒感が包んでしまう。そうした心理が加害者にはある」と言う。(タハ―ル・ベン・ジェルーン著「人種差別」他から)