「ホーム」へ戻る

ホーム活動報告

人権の一つの現実について

 「すべての人に教育を」のスローガンである「国連識字の10年」が2003年1月1日から
「ユネスコ」を中心に10年間活動して、今年で終わる。
 日本での識字は、教育制度により平等になされている。
人権には、教育を受けることとしての教育権が「こどもの権利条約」にある。

当然日本国憲法には 3大義務の一つとして教育を受けることとある。
大事な条項である。
識字とは、15歳以上の人に対する自国での文字の読み書きができることをいう。
その率を織字率と言う。本来、数値で捉えられるものでなく一人一人調査した訳でないので基準はあいまいである。

識字がイコール知識でもなく、一般の生活に則してどうかであるからだ。
経済が発達したグローバルの世界の中でせめて自国の言葉の読み書きは大事なことである。
社会形成が立たなくなるからである。また無教養は、貧困と共に人権的侵害の2要因とされ、騙され易いとされる。

と思っていたらアフリカのある国では、口承文化が発達しているので、自分の名前くらい読み書きで生活はできるらしい。
なるほどと思う、人が生きる上で、どうかの原点から言えば読み書きは、必要十分条件ではないのである。
住む世界のレベルのことであるからだ。
日本の識字率は、向上して90%以上であるが、では他国の字を読めて書けるかというと数パーセントの人しかできないという。

そうして見るとランクの別の口承文化であっても、それほど他人が思うように不便は、ないのかもしれない。

 日本の現実は、兵庫県立大の高田教授の著作では、日本での義務教育未修了者は、数万人いるという。
まだ識字教育は、この日本でも引き続きされている、

 一昨年の研修会でいった三重県では、同和対策事業の中で識字教育として実施していた。
「え―。今この時代に」と言っても、一人の人に対する人権差別がこうも長く未だ尾をひいているのである。
人権の侵害は、その人だけでなく縁ある人にも、末永く心に留まることを知らねばならない。
 これが忘れてはならない現実なのだのだから。(y・k)