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ホーム活動報告

平等と公平そして公正のありよう

 年金の不公平問題と大学入試不正問題が起こった。
 こうした問題は、決して起こしてはならない。
平等には不平等があり、公平に不公平があり、公正には不正の反意語がある。
[1]平等と公平は同意語で使われる。「公平とは、全てが平等なこと」と言うように使われる。
「人には平等(公平)に接しよう」と良くいわれるが、そんなことができるわけがない。
自分に対して、境涯(性格・環境)が違う人と厳密に同じようにはできないのが自然である。
 しかし「平等(公平)らしく接しよう」というならできるのである。
人は、みな違いがあるのだから、理解しあいながら「おおらかさのレンジ」があれば同じようなことはできるのである。
 物事の中でもケーキを半分ずつにして平等に渡すことはできるが、夕食で食べ盛りの兄とそうでない弟は、兄の方に多くのおかずとすることは、栄養から言って不平等と言えるかと言うとそうではないのだ。
この方が合理性であるのだから、不平等でなく平等なのだ。
公平といえるのだ。

 このように人権的に、人と接する場合の平等は、むしろ愛情的なことである。
「子どもの人権」も、子どもの状況に合わせて最も喜びが多くなるように、また安寧感になるようにしてあげることが、人権的平等なのだ。

 ゆえに「人権教育での平等は、同じ時間を皆に施すのではなく、一番悩んでいる子が、平均的に平癒できるまで施すこと」なのだ。
この辺を間違ってしまうと本末転倒となる。
相手が、「人間らしく幸せに生きていくためにどうしたらよいのか」の対応を考えることが、平等であり公平であるといえる。

[2]では、公正とは何かである。公正の方が更にその意味合いが強くなる。
 「夜回り先生」で有名な水谷氏は、「消費税は、貧しい人も富の人からも一律5パーセント取っているから、これは、平等です。
かつて我が国にあった物品税は、高級車などの高額な物には、高く税をかけ徴収していた。食料品には物品税はかけていなかったが、これが公正なのです。
 また「学校給食での同じ量をもらえるのは、平等であり、体の大きい子、また良く食べる子には、お替りしてもよいというのは、公正と言えるのです」
 「平等は冷たさを感じ、公正は、優しさや思いやりを感じます。
子どもたちは,たぶん最も公正を大切にしているのです」と言っている。
(水谷修著・中日新聞・H10・12・6掲載・要旨編)

 社会福祉政策は、この公正の原則からくるものなのである。

[3]こうしてみる時、社会のありようとして、不平等・不公平そして不正のないより優しさのある、温かな平等・公平であり公正な心持で生きられる社会こそが、人間社会としてあるべき社会なのである。(y・K)