2010年9月28日無縁社会とは
高齢者の死の放置事件が発覚した後、法務省の調査によれば、戸籍が存在しているのに現住所が確認できていない100歳以上の高齢者が全国で23万4000人に上がると9月10日に発表した。
情報社会といえども、人が介在しなければ真の生きた社会になれない。
NHKは、「無縁社会を考えよう」とキャンペンを張っている。この中で、年3万2000人の方が無縁死しているという。
生き方、働き方の多様化、核家族化、長引く不況などにより、いつか自分も無縁となってしまうのでは?と言う声も多く寄せられていると言う。
世界一の長寿国日本の重大な課題である。
「一人社会」などという、ありえない社会が現実化してきているのである。
人権の尊重としての、プライバシーの保護が、逆方向に回転して、より孤立を加速させ、助け難くしているのである。
独居高齢者にたいしては、末転倒の気がする。
こう思うのは、私だけであろうか。
人は、縁が無くては生きられない。社会の中に生きている人、全てが生きる上で何らかの人とのかかわりの中生きているからである。人と人とをつなぐものが縁である。
人的・物的を問わず間接的な原因を縁と言うのである。
「種から芽がでるには、土に植え適度の温度と水が必要である。
種が因であり発芽が果であり、土や温度そして水が縁である」
物事は、縁により成り立っているのである。
可児に住むことも、隣に住むことも、また共に働くのも、また縁なのである。
市民全員が、多様な理由で寄り集まった有縁の地が可児なのである。
だから、より添い、助け合ってこそ縁ある人といえるのである。(y・k)