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ホーム活動報告

人としての判断基準とはーー。

先日、2回目の雪が降った。

雪は、すべてのものを覆い被せて、白一色にさせ景色を一幅の名画にしてくれる。
左の写真の、工事現場も色化粧してくれている。

雪の景色は、情緒あるが、実社会での出来事は、これでは困る。
その実像をみせず虚像で覆い被せたら、本当のことが判らなくなるからである。
人は、自分の立場が不利益になる時に、いかなる言動を取るかにより品格が問われる。

正義とは、何か、それが正義なのかである。

人生にいかに人道的に忠実に生きているかである。
その時、うまく逃(のが)れても又同じ轍を踏むのが人生の宿命であろう。
人生はその時、忠実に判断することのほうが、振り返ってみると、糧になり、有益なことが多い。
そうでなくては、人間としての人道観は、初めから人には、いらないのである。

ヒトは、人間で「知恵ある人」ホモ・サビエンスとして、初めから社会に生きるものとして、命に持ち合わせた存在なのである。だから、それに反すると何時かしっぺ返しを食らうのである。

何を信じて生きていけばよいのか、価値観が多様化し巧妙なごまかしが、渦巻く中で、敵とか見方とかでなく、本当に社会にとり自分にとり有益で、人生にプラスをもたらすものは何かを見極める判断基準が必要である。

以前に読んだ本で、当時の北京大学の季副学長が、次の主旨のことをいわれていた。
「物事には、必ず判断基準というものがある。それも客観的に誰の目にも明らかなものもあれば、曖昧のものまで様々である。
しかし、社会や自分にとって有益な基準は、そのことが

  1. 人の知恵を増すのか、愚かさを増すのか
  2. 人の倫理・道徳のレベルを高めるのか、下げるのか
  3. 人の前進を励ますことができるか、後退させることか
  4. 人に力を与えるのか、惰弱にするのか
  5. 人に高尚の美感を与えるのか、それとも低級で下品な感を与えるのか
  6. 人に楽観的を与えるのか、悲観的にさせるか
  7. 人を励まし困難に立ち向かわせる力があるか、諦めさせるのか

等である。このことに照らして判断すると、そのことが人生に取り価値があり有益かを判断できまいか。」とあった。

今、世間を騒がせていることも、この判断基準で見ればよいのか悪いのかがわかる気がする。

このことは、身分・財産・思想等を越えた平等の基準だと思うからである。(y・k)