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ホーム活動報告

「伊勢真一監督」の「ヒューマンドキメンタリー映画とトーク」の開催!

29日に(公)人権啓発センター主催で、可児市文化創造センターにおいて、首記が開催された。本センターも後援させてもらいました。

伊勢監督は、永くから多くのヒユーマンドキメンタリー映画を撮り続け「毎日映画コンクール」でグランプリ他多数を受賞している有名な方である。人権的課題とされる「障がい者」「認知症」等を主題する映画が多くある。

特に、監督の姉家族での子ども「奈緒ちゃん」(てんかんと知的障がい者)をテーマにした映画を5本撮られている。今日の映画もシリーズの一つであり、トークは、監督とお姉さん(奈緒ちゃんのお母さん)である。 

他もドキュメントゆえに多くのをパラレルに撮り続けているという。

毎年可児市で新しく制作された映画とその出来る過程等を対談者と話されていて、ドキュメント映画の特徴である映像の節々のつながりを見る人に考えさせるように描いていく。このことから、映画を見てからのトークにより明かされることで、シーンがつながり、自分の思う意味合いが分かると、表現での人間的な思慮の深さを感じとれるものである。

題名「やさしくなあに」は、奈緒ちゃん(43歳)が8歳の時から撮りづづけてきた中を構成したという。監督は、「テーマとかメッセージとかと言った上等の考えは、もうとうなく元気な奈緒ちゃんを撮るというホームムービーのような考えだけだった」と言っている。

ゆえにどこの家族にもある悩みや苦しみ、喜びや怒り、哀しさや楽しさを、それぞれのひとり一人飾り気なく個性豊かに描いている。

何か起ころうが、「けんかしちゃいけないよ?『やさしくなあにって』言わなくちゃ」と、天真爛漫な奈緒ちゃんの心の根底を包んでいる無垢な優しさで、家族が和やかに保たれていく様子が、良く描かれている。皆が家庭でも、また社会においても、自分らしい役目を担っていく大事さを感じさせてくれていた。

障がい者の方も健常者の方も差異はなく、表にあらわれる形態の違いである。どこにどう生まれ出ることも、ままできない人間である。

障がいを持って生まれることは、「人間誕生の医学的確率論において、その障がいを引き受けて生まれ出たことで、他人の受けるべきことを確率的受けた」という論理が「社会福祉論」の根底にある。

生きている事象的な命と時間が同じ通いの中、自分らしく過ごしていることに変わりはないのであるからーー。 「静かな木漏れ陽のやさしさにつつまれたなら」(新井由美・作)のような緩やかさで互いにないものを譲与し合うことの必要を身の沁みる一時に感謝。(y・k)