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恩讐の彼方に新しい希望を!

 オバマ米国大統領が、原爆の地、広島を訪問することとなった。
広島・長崎の市長も原爆被害者団体も「謝罪はいらない」との歓迎の意を示していた。

 この日本人の寛容さの言動に世界は、驚きを以て見てくれるといいと思った。
唯一の被爆国である私たちであるがゆえに、世界の人の身に2度と起こらぬよう、絶対悪である核廃絶を言う権利がある。このことが、この機会に世界の人の心に沁みこむ発信がされることを祈りたい。

何があっても過去のことを引きずっていたならば、今から生きる人間にとりフルパワーの平安の時づくりができない。なぜならば両方を考えながら推進する力は、分力となり、本命のことに本腰をもって出来なくなるからである。

人権で最も大きな侵害は、戦争である。史実には、深い経過や理由が潜んでいて、国の言い分の、正誤はわからない。国際裁判も戦勝国の生業(なりわい)で済んでいるからだ。個人の争いと似ていて、瞬間の正誤は分っても経過での心情は分らないと同じである。

争いは、古代からあり、居食住のための、生きる上での死活問題であるから争いは、あったのである。当時では力の強いものに従うことで部族ができ国ができていったが、近代化の中で、武力の優位さによる戦いとなり、人間社会は、泥沼化になった。

人間には際限のない欲望がある。自国民の先々の安穏を願うという理屈での利己主義がナショナリズムであるから、自国の利益を見越し領土等の拡大を目指して戦いしたのである。

国連が出来て話し合いを重ね対話によるコントロールは大きい成果であるが、貧困や学問がないゆえの国との格差は益々拡大した。また先進国でも別の意味での弱者強食の格差の世となりつつある。

ゆえにどんな理由を付けようとも、また科学がこれほどまでに発達しても、人間の命は、古代人と少しも変わらないでいるのである。知識や知恵が多くても、人間性ある方向に正常に働いていないからである。

日本では、既に70年前の戦争の爪痕を命に刻まれている人は、少なくなりつつある。

その後においても先進国は、後進国の紛争に加担しながら、自国との関係強化のために戦ってきたが、結局は、恨まれ、憎まれてテロの餌食に巻き込まれてしまっている。負のスパイラルから抜け出さないでいる。

「過去の歴史の真実から得ることは、恨みを教訓にすることではない。向上的な教訓にすることこそ歴史の最大の眼目である」(要旨)(英国の世界一の歴史学者:トインビー博士)と言う。
人は感情の動物であるから加害されたことを恨むことの対処は必要である。であるが必ずしも歴史の真実の裏にある憎しみ感情の連綿化は、個人・国にとっても良いことではない。憎しみの復讐からは、互いの憎しみしか残らず負の連鎖を繰り返すこととなるからである。

この憎しみのエネルギーを超越して、和解した姿にしか人の幸せは得ることができないからである。

黒人問題でのキング牧師も「虐げられた今や過去から抜け出すためには、自らのできる立場で抗議をして、やがて偉大なアメリカであるならば、必ず自由の鐘が鳴り渡るであろう黒人も白人も手を携えて、黒人霊歌をうたうのだ」と恨みからの脱却を訴えて、何をすべきかを明確にして「公民権法」勝ち取ったのである。

また、菊池寛の「恩讐の彼方に」に出てくる「了海」を父の仇(かたき)として追う実之助の物語である。

「自分の犯した罪を懺悔して九州の耶馬溪の絶壁を19年間くりぬき、村人のために洞門を通そうと決意して、間もなく貫通するときに実之助に見つかる。了海は、この洞門が完成するまで仇討を待ってほしいと懇願して、掘り続けている。その懸命の姿に実之助は理解をして、やがて自分も掘ることを手伝って貫通させた。この時2人は抱き合って喜び仇うちのことも忘れて、涙にむせぶと言う」(要旨)物語である。

恩讐とは、恩義と恨みのことである。何時までも、恨み続ける事よりは、同じ人間のいる貧困の国を案じ、恩に着せない旨を持ち、多くの国が一堂になって良いことをやる共同作業こそが、素晴らしい人間の本領であり国々の本領となることを祈りたい。戦争を2度と起こさない誓いと共に、同じ思いでいるでいよう、忘れられない英霊や犠牲者への鎮魂を永く祈ることを忘れてはならない。(y・k)