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論理と共感のはざまー(沖縄の人の人権)

 沖縄での総理と知事のニュースが昨日流れた。何故知事は、かたくなに辺野古は駄目・県外へ
と言うのかである。
 論理だけでは、人は動かない。また自分達だけのグループの過ちを
詫びても収まらない。.まして偽善はなお悪いのである。

それは、同党の前任者の「基地は国外へ」の「白昼(日)夢」の言葉を信じて、沖縄の民が
これに望みをかけた結果現政権ができたのだ。
このことは、、いささかとも浮かび上がることを予想だしていなかった
心の奥底にある濃縮の思いの入った「パンドラの箱」を開けてしまったからである。

 その箱の中には、「誰だともいえず虐げられた永年の怨念、
また犠牲者の心の中の慟哭(どうこく)の叫び、宿命の無明」
が詰まっていたのだ。
「この何にも代えがたい心を表に湧きださせてしまったのである」 
だから沖縄の人心は、基地が県外に行くことだって嬉しいことでもなく、
希望でもなく、良いことでもないのである。
このことは、ただただ成るのは当然で、そのことよりも怨念・慟哭・宿命が
晴れることなのだ。
 
 戦争の植民地として、また本国と離れていたことから、領地として両国双方にとり
都合がよかったからである。
島民を多く殺しさらに踏みにじった実態がそこにあったのである。
こうした永き「心の歴史観」が分からずして、沖縄の人の理解はできない。
 近年だけの「にわか論理」では、人は動かない。
住む人の感情の共有と感情の共鳴し合う本気度がパンドラの箱の底にわずかあったとされる
赦心が動くこととなるのである。
人の心の砦ほど強固のものはない。
「戦争は、人の心の中で生まれるものであるから、人の心の中に平和の砦
を築かねばならない」(ユネスコ憲章前文より)とある。
 沖縄にあった米軍弾道ミサイルの中国を狙った弾道施設が平和公園となり、
ミサイル発射基地が平和の数体のモニュメントに変わっていることをご存知だろうか。
 人権の歴史はすべて、戦いの中で勝ちとるものといえ、人権人権と他国に、うるさく言う米国である。
沖縄人の人権が分からないはずがない。人間と人間のやることだからである。
近くこうした新しい歴史の流れが来ることを祈る。(y・k)