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ホーム心のビタミン

事は、起こるべくして起こる!

今、震災の対応が問れている。
世の中の森羅万象は、起こるべくして起こる。
全てが原因と結果である。

起こることをを知っているかは、その事象を人またその国が達見
しているかどうかである。
偶然の起こることは、この世にはあり得ないからだ。
分からないからか、面倒なのか、価値的に無意味なのか等で
偶然だと言っているだけである。

この度の地震・津波や原発の災害でさえ、「想定外のこと」ではない。
その人その国にとり想定していないことだっただけなのだ。

事が大きいので問題になっているが、
 人は必ずしも日常疑っての言動を行ってはいないのである。
電車に乗るも事故があると思って乗らない。銀行で偽札をくれるとは思わない。
隣の人に刺されるとは思わない等生活行動全て信じて疑わないのである。
日本の治安が、また心根が好いからでもないのである。
人間としての性であり資質なのだ。
 
だから人の集まりでの多くの国があり民がいるのである。
 大災害も同じで、その言う人の境涯で捉えると「想定外」となるのである。
これも言う人の境涯的な資質なのである。

地震であっても、地震の立場で考えれば、もう耐えられないから発生させることである。
起こるべき時に起こしているのであるから、
人としてその知見の到達域がどこにあるかが問題である。
大きな災害であれば有るほど、予知は、本来し易いことが道理である。
 
この度は、「1000年に一度の想定外のこと」でくくつている。
多くの公的機関に多くの時間と税金をかけて分析してきても、この予測域に到達しな
かったのである。これを運命だとか想定外だ、と言っていて良いのであろうか。

人も国もこうした災害により、これまでの半生の苦労や努力が無に帰してしまう
総体的に「災害とういうひとからげ」で人生の狂いが大きく生じてしまうのである。

何がどうあれ、人間の幸不幸を決定する物事の浅深・勝劣・正邪・科学非科学性には、
よくよく深慮しなくてはならないのである。

ともかく起こってしまつたこと、一刻の早くの対応が大事である。
 生きる上での先々の見通しのありようを国・地方の行政で標を決めて、
民の生きる権利を解放してあげることである。

 生命こそ第1として守ること、これしかないのである。
(y・k)