2010年7月8日兆しについて
事の起こりには、兆しがあるという。
これが何かは、表面ではわからない。
人であれば、身(行動)口(言葉)意(心)の中に現れるという。
現れ方は、心の変化が言葉の内容とイントネーション、になり行動変化
へと連なる。
良い兆しと悪い兆しがある。
良い兆しは、自ら明らかにしたがるが、悪い兆しは、周りを気にしながら、
密かになりがちである。
変化の兆しを、察知できやすいのは、身近な人である。
身近とは、時間の長さでなく、その人の心を理解している度合いを言うのだ。
だから何かが起こった時、そこにいる人たちの、そのことだけで無しに
全体的な意識の欠落によることが多いのだ。
これを分析学では、トータル要因と言う。
全体を覆い被せる大きな要因の中での一つが
たまたま、そのこととして起こっていると見ることだ。
「はすの花が見事に咲くのを見て、池の深いことを知る」
表面だけでなく、その奥に因があるのだ。
その兆しを見つけるには、一対一の対話以外ない。
心のありようをいつも交流しあうことだ。
ぬくもりの思いの一言を添えて話しかけることだ。
これで、解るものだ。
一日何人にどれだけ話し掛けたかによるものだ。
これがわるい兆しを知る機軸なのだ。
人は、ぬくもりある人のみに兆しをするものだ。(y・K)