「ホーム」へ戻る

ホーム心のビタミン

「人間万事塞翁が馬」

 今年の一月末に、福岡に住んでいる主人の父が永眠しました。病気で入退院を繰り返してはいましたが、突然急変し、あっという間の出来事でした。コロナ渦の時勢も相まって、岐阜からの道程は遠く、帰省もお見舞いも出来ない中の突然の不幸に、私は心がついていかず、ふと気付くと涙を流す日々が続いていました。

 そんな折、先輩よりこんな言葉を教えて頂きました。

『人間万事塞翁が馬』…世間に起きる良いことも悪いことも予期出来ない。たとえ今幸せだからといって油断してはいけないし、悪いことが続いてもその中に良い事が見い出せるかもしれない。いつまでも落ち込んでいてはいけない。といった意味合いの言葉です。

これは中国古代の「淮南子(えなんじ)」という哲学書に書かれている故事です。

~中国の北方に占いの上手な老人が住んでいました。

 さらに北には胡(こ)という異民族が住んでおり、国境には城塞がありました。
 ある時その老人の馬が北の胡の国の方角に逃げていってしまいました。

 本来なら高く売れるはずの馬が逃げてしまい、近所の人々は老人を気の毒がりました。

 ところが老人は、「このことが幸福にならないとも限らないよ。」

 と飄々としています。

 そしてしばらく経ったある日、

 逃げた馬が胡の良い馬をたくさん連れて帰ってきました。

 近所の人たちが羨ましがりました。

 しかし老人は、「このことが災いにならないとも限らないよ。」

 と言います。

 しばらくすると、老人の息子がその馬から落ちて足の骨を折ってしまいました。

 近所の人たちがかわいそうに思っていると、

 老人は平然と、「このことが幸福にならないとも限らないよ。」と言っています。

 それから1年が経った頃、胡の異民族たちが城塞に襲撃してきました。

 城塞近くの若者は全て戦いに行き勝利を治めましたが、その多くはその戦争で死んでしまいました。

 しかし、老人の息子は足を負傷していたので、戦いに行かずに済み、その後も生き延びました。~

 

 人は一度落ち込むと、その不幸から抜け出すのには時間がかかります。実際私も「あの時こうしておけば良かった…」と後悔の念がぐるぐる頭の中を巡り、負のスパイラルに陥っていました。

 しかし、ふと家の中に目を向けると、小学生の二人の子ども達は、祖父の遺影のそばに小さな祭壇を作り、100点のテストや学校で貰った賞状を笑顔で飾っていました。スポーツ少年団の試合の結果なんかも、誇らしく報告しています。

 出不精で、義父の病院以外は外出をしたがらなかった義母が、足腰がなまってしまったらお墓参りにも行けないと、毎日散歩に出かけるようになりました。

 周りを見れば話を聞いてくれる友人がおり、共感してアドバイスをくれる先輩もいます。一緒に悲しんでくれる存在の有難さに気づいた時、やっと死を受け入れる覚悟が出来たような気がします。

 辛いこと悲しいことから立ち上がることは、容易ではありません。言葉の解釈はさまざまですが、そんな時はこの言葉を唱えて、少し周りに目を向けることが出来ると、何か気付きがあるかもしれませんね。