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~パラリンピックで「障がい者人権」を思う~

 東京パラリンピック閉会式が、9月5日に国立競技場で行われ、13日間の大会に幕を下ろしました。

 様々な障がいを乗り越えて、自分たちに合ったスポーツに多くの工夫と挑戦する姿に感動をもらいました。
 人の持つ可能性を知恵と勇気で極め、希望の大切さを教えてくれました。
選ばれた選手・指導者の一人一人の血のにじむ努力が、あってこそできたこと。
こうした感動の陰には、障がい者に「優しい共生社会」を考える上で、良い機会でした。

 しかし、選手であっても、全ての生活に適応して、生きているわけではないことを知ることです。努力しても、出来ないこともあるのです。
 ゆえに、選手以外の人たちが出来ないことは、努力しないからではないのです。
運動機能が優れていても、必ずしも全ての心身が、完璧とは限らず、他の運動機能、生活機能に、補助の人や器具補助を必要としていることの方が、多いことを知るべきです。

 それは、代表の選手以外の裾野には、こうした方々が、国内約936万人の心身の障がいある多くの方が、いることを知ることです。
「そばにあり、助け合う人権・決して誰も置き去りにしない、寄り添う人権」が、障がい者人権の原点であり、またその実行が大事です。
違いがあっても共に生きられる、新たな未来が生まれます。
その上には、障がい者への偏見や差別の起こらない、優しい社会は、この中より生まれます。

 社会生活する上で、「安心で、ゆとりの行動ができる」より一層社会のバリアフリー化を進める整備が大事なのです。
 障がい者は、生まれながらの障がい、中途障がい者(事故・病気)であったとしても、人権は、全ての人が生きる上で、平等に与えられる基本的人権なのです。
 人権は、人間としての生まれながらに持っている、人間らしく・「自分らしく自立した」幸せに生きていくための権利です。
この権利も「侵すことのできない永久の権利」として国は、保障しています。
 ★「自分らしく自立した」とは、何でも自分でする概念でなく、必要な人的、物的な資源を用いて、自分らしく生きるということです。
 パラリンピックの機会を通して、より知り得た「本人と家族そして援助者」心からの「究極の願い」が、社会全体に大きく広がることを念願しております。(y・k)